2016年9月26日月曜日

【歴史】 家の格 【大名】

武家の家格を調べています。

意外と面白い。

まず、武家の発生ですが平安時代の貴族のボディーガードや
荘園などの領地を盗賊などから守るために組織された自警団などの
武装集団が興りとされている説。

また、中央から地方へ反乱の鎮圧や敵対勢力への対抗の為に派遣された
貴族勢力などの説がある。

どちらにしても、武装集団は初期は貴族に従う集団だったのだろう。

その勢力に、貴族の血筋が入ることや官位の叙勲によって所謂”格”が
上がり、貴族に匹敵する地位に昇ったことは間違いないとみています。


”源””平””藤””橘”と言われる 源氏、平氏、藤原氏、橘氏の四氏有名ですが

皇別氏族である橘氏、平氏、源氏、中臣鎌足を始祖とする藤原氏。

どれも貴族ですね。

平安時代の摂関政治、院政の時代などを越え貴族政治の衰退期に上手く

時流に乗った平氏政権、そして治承・寿永の乱(俗にいう源平合戦)以降の幕府政治で
武家社会が形成されました。応仁の乱の頃までは源氏、平氏など家格が大切にされましたが

後北条氏の成立以降の下剋上を伴う戦国時代では勝てば官軍の実力社会で
有名氏族の多くが没落、断絶していきました。

この頃に豊臣秀吉など立身出世した新たな氏族が表れます。

徳川江戸幕府が成立し、石高によって家格を定め一万石以上を大名
徳川家直参で一万石以下を旗本や御家人、それ以外の諸藩の藩士などに細かく
定められました。

つまり、収入で家の格式を決めたのですね。

しかし、喜連川公方ともいわれた喜連川足利家の様に5千石の石高なのに10万石相当の家格の
家や、3万石しかないけど他家に負けじと表高(幕府に届け出ている石高)を改ざんして多めに
報告して破産寸前の大名や逆に表高を届け出のままだが新田開発で実高を上げ
健全財政を目指した家など

江戸時代の家格をめぐる攻防はおもしろい

特に前出の喜連川公方は商売上手で藩運営は今の世にも通じるものがあります。
まだまだ調べ始めたばかりなので詳細は後日にでも・・・

氏族の歴史と土地の歴史、そして家格を守るための奮闘
調べれば調べるほど面白いですね

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